
開祖と岩間について
合気道の完成とその発展
◼ 大正14年秋および15年(昭和元年)の再度にわたり東都に上り、その武道神髄を披露、さらに昭和二年以降はついに綾部を離れて東京に道 場を設けざるを得なくなる。
◼ そのさい、盛平の決意を最終的に促したのは、 出口王仁三郎の一言であった。盛平の将来の大成をおもいやった王仁三郎は、このもっとも信頼するに足る側近をあえて手離すべく次のように説諭した。
合気道の完成とその発展
◼ 「あんたは山を背負うて走るべきお人や。いずれ天下に、植芝の前に植芝なく植芝 の後に植芝なしと謳われる一世の大武道家となろう。綾部で終わってはもったいない。中央において存分に植芝流合気の道を敷衍されるがよい。
「合気神社」建立準備
◼ 盛平翁が茨城県西茨城郡岩間に土地を購入し 始めたのは昭和10年前後からで、17年の隠棲時には二万坪にもなっていた。
◼ 岩間に住むにあたって開祖にはかねてから念願を実現するための構想が三っほどあった。
◼ 一、合気神社建立
◼ 二、野外道場を設け合気道を心ゆくまで伝授し、錬成させる
◼ 三、武農一如の生活をする。
岩間に「合気神社」建立
◼ 開祖が特にその念願成就を心に深く誓っていた一事は「合気神社」の建立であった。
◼ 合気道を武産し、かつ加護しつづけ給うた四十 三守護神への御礼であった。
◼ 四十三神・・・天叢雲九鬼沙牟波羅竜王、猿田彦 大神、素盞鳴尊、国津竜王、九頭竜大権現、手力男命その他
◼ 本殿、拝殿、鳥居その他の配置は言霊学にいう宇大三元の法則、△(いくむすび)、○(たるむすび)、□(たまつめむすび)

植芝盛平翁口述
◼ 合気神社について最初は産屋として茨城県岩間に道場をつくりました。これは神示によって建てられたのである。みそぎの神の神示によって天降ったのである。その社には五柱の神を奉祭してある。猿田毘古大神のご指示によって創ったものであって、私の作ったものでない。
◼ 合気道は、無抵抗主義である。無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ。邪気ある人間、争う心のある人間は、はじめから負けているの です。いかにしたら、己の邪気をはらい、心を清 くして森羅万象と調和することが出来るか?それには神の心を己の心とすることだ。それは上下 四方、古往今来、宇宙のすみずみまでにおよぶ愛である。愛は争わない。愛には敵がない。何者かを敵とし、何ものかと争う心は、すでに神の心ではないのだ。真の武はいかなる場合にも絶対不敗である。絶対不敗とは何ものとも争わぬこと、勝つとは己の心の中の争う心に打ち勝つこ とである。与えられた自己の使命をなしとげることである。
◼ 今までは魄(肉体的)物質の世界でありましたが、 これからは魂(精神的)と魄とが一つにならなければなりません。物質と精神との世界に長短があってはなりません。
◼ 霊は肉体を育てあげねばなりません。体は精神に従って、すべて精神によって動き、精神にまかせてゆかねばなりません。精神を守るだけの肉 体となってはじめて道が成り立つのです。道とは、血と肉をうけしめ、喰いしめておりますから、はなそうにも離せないのです。物質科学と精神科学 が一つに成ったとき、物質科学は今よりもっと立派になるのです。そして世界は平和になるのです。
◼ 合気道の修行に志す人々は、心の眼を開 いて、合気によって神の至誠をきき、実際に行うことである。よろこんで魂の鍛錬にかからなければならない。人をなおすことではない。自分の心を直すことである。合気道の使命であり自分自身の使命であらねばならない。
大先生のお話を想い出して
㈶合氣会茨城支部道場師範 稲垣繁實
私が入門した昭和33年(1958年)、内弟子でお世話になった昭和44年(1969年)と現在の合氣道界の環境は余りにも違います。 昭和33年当時の合気神社付属道場(現 茨城支部道場)付近は人家がほとんどなく、街灯もなく、鬱蒼とした椚林で、稽古に通うのに勇気がいる所でした。 開祖のお住まいは道場と廊下でつながっている四畳半の居間と寝室からなる質素な佇まいで、内弟子をしていた西内さんと、既に現在の場所に住んでおられた齋藤守弘先生(今は故人)ご夫妻が、開祖ご夫妻のお世話をされていました。 中学一年生の私は、大人の先輩方に混じって夜7時から8時の稽古をしました。 夏場は畳の床が蒸れるので、道場の隅に畳を片づけ板の間で稽古をします。当然ながら膝の皮は剥け、そこが化膿し辛かった思い出があります。 土地柄、先輩方は自営農業者が多く、今のように機械化が進んでいないため、何でも人力で作物を作っておりましたので、毎日が肉体を鍛えているようなもので、自然と身体が出来あがっておりました。 また齋藤先生が合氣道に入る前に空手をやっていた影響で、それぞれ自宅に巻き藁を作り拳や手刀等を鍛え、横面打ちの受けの鍛えは木剣で打ってこさせ、それを素手で受ける鍛錬をしていました。 このような道場ですから、他の道場から来て稽古した人には、厳しく感じられたと思います。 入門二年後に初段を頂いた証書番号が723号ですから、合気道界全体でも会員数はまだ多くなかったと思います。
開祖のことを我々は「大先生」とお呼びしていました。 大先生は58歳から亡くなられる85歳まで27年間、大奥様と岩間にお住まいになられ、「武農一如」の精神で神へのお祈りと農業と合気道の研鑽に努められ、合気道を完成させた所が岩間であると私達は思っております。 合気神社の敷地に道歌「美しきこの天地の御姿は主の作りし一家なりけり」があります。 「私達の住む美しい地球は神様が作ってくれた家ですから、大切に使い仲良く楽しく暮らしましょう」という願いが込められています。大先生の指導法は片手取りが始まると連続して片手取りの関連技に入ります。 教えると謂う言葉は使わず、神様から授かったものをお伝えするので、次の技を展示するときは「申し上げます」でした。 大先生は必ず、最初は「体の変更」より始めました。 体の変更で学ぶポイントは四つあります。 一つ目は相手との間合いと気の合わせです。 二つ目は頭のてっぺんからから爪先まで、正しく体を開くための角度の研究です。 三つ目はどんなに力強く持たれても、体が開けるように呼吸力の養成があります。 四つ目は体が開いた後の残心と後に引かれても動かない強い腰を作ることです。
大先生は鎮魂の行や西式健康法・真向法を取り入れた体操が終わると、長いお話しをされてから稽古に入りました。 その時はチンプンカンでしたが、後々、大先生のお話しが雑誌に書いてあるのを読みますと、その当時の情景が浮かびます。 大先生が常に我々に話しをしてくれた、合気道の精神があります。 これは何の目的のために合氣道をやるのか? と言う、合気道の理念ではないかと思います。 「合氣とは愛なり。 天地の心を以って我が心とし、万有愛護の大精神を以って自己の使命を完遂することこそ武の道であらねばならぬ。 合気とは自己に打ち克ち、敵そのものを無くする絶対的自己完成の道なり。 而して武技は、天の理法を体に移し、霊肉一体の至上境に至る業であり、道程である。」 私なりに注釈すれば、天地の心とは愛そのものであり、慈悲の心です。 太陽は貧乏人にも、金持ちにも、差別しないで、光・熱を与えてくれます。 そして、我々に対して、見返り(代償)を求めません。 これが無所得の愛です。 合気道の修行を通して、このような心を創ってください。 そして自分は何のためにこの世に生を受けたか、自分の使命は何なのかを見つけて、世のため、人のためになるような人格を合気道の修行によってつくって下さいとなるのではないかと思います。
大先生は合氣道の技の修行は、次のように申されています。 己の心を宇宙万有の活動と調和させる鍛錬、己の肉体そのものを、宇宙万有の活動と調和させる鍛錬、心と肉体を一つに結ぶ気を、宇宙万有の活動と調和させる鍛錬である。 この三つを同時にかね行うことが必要で、この鍛錬効果により宇宙の真理が自ずと理解でき、心は明朗に、肉体は健康になり、一人ひとりが自分の廻りを照らす光となれば、この地球全体を明るくすることができるでしょう。 大先生は「合気道は禊業(みそぎわざ)である」とも申されていました。 これも私なりに注釈をつければ、肉体を舟に例えると、魂(心)は船頭です。 舟は船頭の行きたい方向に進みます。 自動車に例えれば、丈夫なボデーを持った車も乱暴者の運転では、車は走る凶器となるでしょう。 ですから肉体をいくら鍛えても、これを正しく活かす健全な心を養わないとだめですよと謂う大先生のメッセージです。 大先生の言われる、宇宙万有とは人間の智恵や意識や我が一切入らない世界、神の世界です。 神の心は無所得(見返りを求めない)の慈悲の心です。 この心に自分の心・肉体を同調させる鍛錬が合気道の技です。 人間はこの世に生を受け、肉体が朽ちるまで何をやれば良いのでしょうか ? それは大先生の謂われる魂の禊ぎをし、魂を成長させることにあります。 魂の成長は自己保存の心をもたず、中道の心で報恩と感謝の気持ちをもって、生きとしいけるものに喜びを与える行いにより、自分の魂を成長させていただくこと以外にないのです。 この世は仮の世で生きても精々100年ですが、やがて帰らねばならぬ実世界は500年、1,000年と生き続けねばなりません。 そのためにもこの世で天地の心を理解し徳を積み、あの世では良いステージ(想念の同じ人々が住む世界)の所で住みたいものです。 日常、稽古していることを、前に説明した大先生の精神性まで、高めることが重要と思います。
1.相手との合わせ (気の合わせ・身体のあわせを宇宙万有の活動との合わせまで高める)
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正しい礼法と道場マナー (相手・先輩・先生を敬う心、親・祖先に対する感謝の心、自然に対する畏敬の念、社会人・国際人としてのマナーを身に付ける)
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忍耐力 (稽古の辛さを我慢することにより、学校や会社また社会との関わりで起きる困難に対し、堪える強い精神力と身体をつくること)
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相手に対する思いやりの心 (お互いに鍛錬し、どんな人達とも楽しく稽古をすることにより、協調する心を養い、自分さえ良ければという心を無くする)
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創造する心(常に技の研究をすることにより創意工夫が生まれます。また永く続けることにより良き師匠、先輩、道友ができ、自分の人生を有意義なものに創っていくことに通じます)
大先生のお話しから、七年前、私なりに合氣道修行の目的を五つにまとめました。
1. 困難に出会っても、もちこたえる丈夫な身体と気力を養成すること。
2. 民族、宗教、思想及び政治を超越した良い人間関係をつくる心を養成すること。
3. 自分をとりまく人々、祖先、国家、宇宙に対し感謝する心を養成すること。
4. 自らに与えられた天の使命を早く感じ、ものごとを創造する心を養成すること。
5. 世界平和と自然環境を整える心を養成すること。
大先生は「合氣道は初めから勝っていることを学んでいる武道である」と申されました。宇宙万有は神の世界で、愛の光で満ち溢れている世界ですから、ここには一切、争いごとは無いのです。その心を学ぶのが合氣道ですから、戦いがないのです。 自分さえ良ければ、他はどうでも良いという心は誰でも持っています。 そういう心を無くするのが合気道修行の目的ですから、初めから勝っていることを学んでいることになるのです。 また大先生は「合氣道の技は光より早いのじゃ」と申されました。 体の変更で開いた時の両手はどのような気持ちで出していますか? 自分の肉体の両手と心とそれを結ぶ気は宇宙の果てまで出ていると思うのです。 太陽から地球まで光が届くのに8分19秒3、かかるそうです。 しかし、人間の想念は太陽を思った瞬間に往復します。 皆さん、もう亡くなっている方もいるでしょうが、お母さんの笑顔を思い出してください。一瞬の内に思い出されます。想ったことは行動に移したことと一緒ですので、合気道の技は光より早いと謂うことではないかと思います。 まだまだ、書きたいことはありますが、最後に合氣道を行ずるにより、自分も自分を取り巻く人々皆さんが幸せな人生を送れないようでは、本物の合氣道修行になっていないと自覚しつつ己を戒めていますが、二日酔いの時など妻より「自分をコントロールすることが出来ないようでは、貴方の合氣道も大したことはないね」と一喝され、返す言葉もありません。 今後とも皆様のご指導を宜しくお願い申し上げます。 (合氣道七段位)
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開祖の写真
岩間で過ごされた開祖の様子です。

















あの世とこの世
昔のことですが、開祖のお話の中で、耳に残っている言葉が有ります。
一つは「合気道の技は光よりも早いのじゃ」
二つ目は「我良しの考えを持ってはいけない」、この意味は「自分さえ良ければ、自分させ幸せならば、また自分の家族、自分の仲間や民族、自分の国、自分の宗教さえ良ければ、他はどうなってもいい」という考えを持ってはいけないと云うことではないかと思います。
これから話をすることは、「大本(おおもと)」で学んだことですが、開祖のお話しされたことが理解できると思います。
ポール・ゴーギャンが描いた代表作の一つ「我々はどこから来たのか。我々は何者か。我々はどこへいくのか」という作品です。描かれているのは太平洋の真ん中にあるタヒチの人々です。この絵は三つの要素からできています。まず右側には、生まれて間もない赤ちゃんと三人の女性がいます。真ん中は。成人が何かの木の実を採っています。そして、左側には、間もなく死を迎える老女と、もの言わない白い鳥、そして背後には超越者が描かれています。
この絵のタイトルの表現を変えてみますと、「人はどこから生まれてきたのか。人は何のために生まれてきたのか。人は死んだらどうなるのか」ということになります。
霊は私たちの住むこの宇宙全体にあまねく存在しています。鉱物にも植物にも当然に動物にも存在しています。日本人は食事のとき「いただきます」と言います。それは植物、動物の生命をいただき、我々は生命をつないでいます。その感謝を言葉を込めて「あなた方の生命を頂きます」と言います。
植物にも「感情の働きがある」というテーマで書いたものを読んだことがあります。まな板の上にキャベツが二個のせられています。一個のキャベツは包丁で切り刻むこととし、その間、もう一つのキャベツはどんな反応を示すかを調べる実験です。調べるための装置は、健康診断の心電図計のようなもの。電極がキャベツにとりつけられ、何らかの変化があれば心電図のように波形となって現れるという仕組みです。実験が始まる前は、もちろんキャベツには何の反応もありませんが、とろこが、一方のキャベツが切り刻まれ始めると、測定用のキャベツはてき面に反応し、波形は激しく振動しました。それは刻まれている間、ずっと続きました。また別な実験が載っていました。同じ時に同じ場所からとってきた花を二つの花瓶に生けて置く。そして一方の花には、毎日、「きれいだよ。一日でも長く咲いて、私を楽しませておくれ」と言ってやります。また、もう一つの花には、「きたない。早く枯れろ」と毎日怒鳴りつけます。そうすると、やさしい言葉をかけられた花は、どなりつけられた花より必ず長く咲くというものです。これは、植物も、心というか、感情を持っているからなのです。人間ほど明瞭な感情や意識は持ち合わせていませんが、希薄であっても「うれしい」とか「恐ろしい」くらいは植物でも感じる能力をもっています。
人間も霊魂に根ざす心の働きが、肉体の顔色や言葉や動作に現れるように、体は心の表象であり、映像です。つまり、人間は霊魂が主体であり、体が従の関係にあります。これを「霊主体従(れいしゅたいじゅう)」といいます。霊魂が肉体をまもり、肉体が霊魂をまもり、同時に霊魂の働きが肉体に現れ、また肉体で感じたことが霊魂を動かすように、霊魂と肉体がお互いに影響し合うという関係でもあります。これを、「相応の理(そうおうのり)」によるものであり、また「霊体一致(れいたいいっち)」の状態ともいいます。
人は肉体と精霊からなる複合体です。人は誰でもいずれ死を迎えます。大本(おおもと)では、「肉体から精霊が離脱したときを死」と教えています。ただし、これはあくまで肉体の死であって、精霊の死ではありません。なぜこの世に、悲しみを伴う死というものがあるのでしょうか。神さまは、進化の手段として死というものを施されているからです。死というものは、神さまのご慈悲なのです。もしも、人間に死というものがなければどうでしょう。そこには親も子孫もありません。生物は死という関門を通って進化していく、つまり死というものがあるからこそ、生殖機能があるのです。これはまさに、神さまの摂理なのです。摂理により肉体は最期を迎え、精霊が霊界に復活することを現実的には死と呼びます。
霊界には神の愛善(熱)と信真(光)に近い順に天界(てんかい)、中有界(ちゅううかい)、地獄界(じごくかい)の三つの境域があって、天界はもっとも美しく清く明るい境域で、正しい神々や正しい霊魂の安住するところです。地獄界はもっとも醜(みにく)く暗く穢(れが)れた境域で、邪神の集まるところであり、罪悪者の墜(お)ちていく境域です。また天界と地獄界との中間的状態の境域を中有界(ちゅううかい)といいます。
霊界は「同気相もとめる理」によって、組織されています。霊界のそれぞれの境域には、意志想念をひとしくするのみが、相寄り相集まるようになっています。
人間の精霊は、霊肉離脱後、霊界に入ると直ちに中有界に入りますが、なかでも極善人、極悪人の精霊は中有界を経由しないで、直接に天界、地獄界にすすみます。しかし、ほとんどの精霊は死後、いったん中有界にとどまります。
中有界はその精霊の生前の善悪を見定める所、いわゆる裁判所です。この世での裁判は、一審、二審、三審と進んで刑が確定する三審制です。人間が裁くことで間違いもありますから、何度も繰り返して慎重に刑が決定されるわけです。中有界では、一回でその精霊の善悪・正邪が判明します。審判基準は、人間が現界にあったとき、神から頂いた霊魂を汚さず、神の心に近づいた生活をしていたかにあります。
中有界には、外分(がいぶん)の情態、内分(ないぶん)の情態、準備の情態があり、死の直後、中有界に入った精霊は、まず外分の情態に入ります。この情態のときには、容貌、言語、性情は現界にあったときと少しも変わらず、他の人と交わるとき、外面で本心を装いかくす心を持続しています。ところが、このような外分は次第に失われていきます。それはまったく消えるのではなく、霊界では現界的な身分とか肉体的な感覚とか物質的知識などは不要なもので、使われないため退化していくのです。
霊界に復活した精霊は外分の情態から次第に変化し、やがて内分の情態を現してきます。内分というものは、その精霊の本性ともいうべきものです。この内分の情態になってくると、容貌は現界にあったときと異なり、意志や想念のままに容貌が変わっていきます。内分が清く明るい人は優雅円満な容貌に、醜い人は醜悪な容貌となります。外分の情態から内分の情態に移る期間は、内分、外分の一致した人、心の清い人は現界的に言えば一日あるいは数日、数十日ですが、心の中に凶悪な気持ちをもつ人は邪悪な内分を見せないように努めるため、その期間が長くなります。
霊界では、内分の意志想念がそのまま外面に現れ、わずかなごまかしもきかないものです。ゆえに霊界を「意志想念の世界」ともいい、「内外両面の一致」ともいいます。心にいろいろと浮かぶことを想念といいます。その想念には崇高なものもあれば、邪悪なものもあります。日頃の自分自身を思ってみてください。あるときは、腹が立ってしようがないときもあれば、うれしくて、有り難くて、という気分のときもあります。前者は地獄の想念、後者は天国の想念になっているのです。
次に、準備の情態に移りますが、これは天界行きとなった精霊のみが、天界の知識を与えられる期間の情態です。地獄行きになった精霊は、準備の情態はありません。中有界にある期間は、現界的にいえば数日、数か月にわたるものもありますが、長くとも三十年を越えることはないと説かれています。
現界は有限であり、霊界は無限です。例えば、皆さんの預貯金を子や孫に与えるとします。当然に減っていきます。ところが、非物質のもの、親切心や思いやりなどは、いくら出しても減ることはありません。また、想念は小さな世界にも、大宇宙の果てにも思いを寄せることができます。
また霊は、時間、空間を超越しています。恋人を待っているときには五分、十分間が大変長く感じるものですが、デートをしているときには、一日があっという間に過ぎてしまいます。現実に時間が変わるわけではありません。心の時計の針は現界の時計の針とは違う。心は時間を超越しているからなのです。また、旅行に出掛けているお母さんが家のことを思うとき、瞬時にして自宅に戻ることができます。心の時計の針と同じように、心の距離は瞬時に千里をも超えてしまう、それが霊界です。
皆さんの中には、私の話をお聞きになりながら、あなたは死んだこともないのに、なぜそんなことが分かるのか、と思われるかもしれません。それは植芝大先生が指導を受けた、出口王仁三郎氏の書いた「霊界物語」の中に示されていることです。
今までいろいろ話してきましたが、霊界を知って今の現界をいかに生きていくのかということが一番大事です。霊界と現界は魂と肉体の関係で相応していますので、両方が良くならなければ両世界はよくなりません。霊界がますます良くなるためには、天国天人がもっと増えなくてはなりません。天人というのは天界で生まれて成長したのではないのです。すべて人間が天人となっていくのです。人間の精霊が向上して霊界に復活する。そういう霊魂が天人となるのです。ですから、いかにこの世が大切な世界であるかということです。結局、地上世界というのは、天人の養成所なのです。そして、死後、霊界に復活して永遠の生命をいただいて、天国で生涯を全うする。これが、人生の目的であり、合気道の目的でもあると教えられています。
最初にお話ししたゴーギャンがタヒチで描いた絵について、言葉を換えて問いかけた三つのこと「人はどこから生まれてきたのか」「人は何のために生まれてきたか」「人は死んだらどうなるなか」について、皆さまもご理解いただけたでしょうか。